北海道考古学会だより 65号 目次 

訃報    故佐藤隆広君のこと
   案内   2000年度北海道考古学会定期総会のご案内
        2000年度北海道考古学会研究大会のご案内
   報告   矢不来2遺跡出土の涌元式について
   事業報告  1999年度遺跡報告会実施報告
   研究会 月例研究会の実施報告と発表者募集の案内
   事務連絡  新入会員・住所変更会員のお知らせ

訃報

 本学会会員で、北海道考古学、特にオホーツク文化の解明において優れた業績を積まれてこられた佐藤隆広氏が、平成11年9月24日(金)に亡くなられました。享年50歳。佐藤氏が調査を担当された目梨泊遺跡は、オホーツク文化を研究する上では欠かすことのできない重要な遺跡であり、今後のご活躍に多くの関係者が注目を集めているところでした。ここに慎んでご冥福をお祈り致します。


故佐藤隆広君のこと  鶴丸俊明


 佐藤隆広君が鬼籍に入られて、はやくも半年になる。友人を代表して涙ながらに弔辞を読んだのは99年9月27日のことだが、その1週間前には、畑宏明氏とともに見舞って元気な顔に安堵していたし、その折には他人の体の心配すらしていたので、この訃報には呆然とした。
 氏は72年に駒沢大学を卒業された後、斜里町のしれとこ資料館、網走郷土博物館で資料整理に従事し、さらに乙部町教育委員会では大沼忠春、松田猛、大島直行の各氏らと元和遺跡・栄浜遺跡の発掘に携わって大部の報告書を残されている。76年から北海道教育委員会の調査補助員として新千歳空港予定地内美沢川流域の調査に従事した後、78年には枝幸町に迎えられ、ホロナイポ遺跡やホロベツ砂丘遺跡、目梨泊遺跡の発掘で大さな成果を残されたことは、周知のところである。
 私は69~71年の端野町広瀬遺跡の調査以来の付き合いで、特に斜里・網走時代のことは詳しい。裸電球がぶら下がる博物館の宿直室で独り夜更けまで仕事をしていた姿は、今も鮮明だ。最も苦しい時代だが、また可能性を信じてがむしゃらに頑張った時代でもあった。病床で大学以来の歴史を語ってくれたが、そのくだりは、考古学の出発点での貴重な体験として終生大事にされていた話しっぷりであった。
 97年に直腸ガンと診断され、2回の手術を経て2年以上も病と闘って逝った。壮絶な日々の中で、しかし弱音を吐くこともなく最後まで明るく振る舞った姿に、彼らしさを感じたのは、私だけではないだろう。たくさんの先輩に愛され、たくさんの後輩に慕われた度量の大きな人だった。その笑顔を思い出しながら、オホーツク考古学に身を捧げ、オホーツクミュージアムえさしの開設に努力された氏のご冥福を心よりお祈りする。

 

 

2000年度北海道考古学会定期総会のご案内
 今年度の定期総会は、北海道考古学会事務局であります札幌学院大学で開催いたします。皆様奮ってご参加くださいますようお願い申し上げます。なお、総会は、委任状を含め3分の1以上の会員の出席をもって成立します。事情があり直接参加できない場合はもれなく委任状をご提出いただきまして、総会の成立にご協力願えればと思います。
 また、事務局では会員情報を整理し、平成12年度中に新しい会員名簿を作成することを計画しております。同封のはがきに記載事項をご記入の上、事務局までご返信下さい。ご協力の程よろしくお願いします。

   日時 2000年5月13日(土)午前10時30分~(午前10時受付開始)

   会場 札幌学院大学 B館101号室

   住所 〒069-8555 江別市文京台11

   議題 1999年度事業報告、決算報告、監査報告

      2000年度事業計画、予算案、その他

 

2000年度北海道考古学会研究大会のご案内
 同じく総会に併せて研究大会も開催いたします。今年は『北海道旧石器考古学の諸問題』(仮題)をテーマとして開催することを予定しています。皆様奮ってご参加くださいますようお願い申し上げます。
テーマ 『北海道旧石器考古学の諸問題』(仮題)  
日 時 1日目シンポジウム 2000年5月13日(土)午後1時~午後5時

    基調講演:梶原 洋 先生(東北福祉大学)

         「北東アジアにおける土器出現の諸問題」

    事例報告:3件(予定)

2日目エクスカーション 2000年5月13日(日)午前10時~正午12時

 ※見学は北海道立埋蔵文化財センターを予定。参加希望者は、同封のはがきもしくはシンポジウム初日の受付にて申し込み下さい。ただし先着50名まで。

会 場 札幌学院大学 B館101号室

住 所 〒069-8555 江別市文京台11

資料代 1,000円(当日申し受けます)

 研究大会終了後、懇親会を予定しております。こちらの方へのご参加もお願い申し上げます。
  ※研究大会会場で、資料集や報告書などの販売を考えておられる方は、会場スペース
  の問題もありますので、あらかじめ事務局まで、ご連絡下さい。
 事務局 札幌学院大学 〒069-8555 江別市文京台11 札幌学院大学鶴丸研究室内
                  TEL 011-383-6446 FAX 011-381-1077
                        研究会担当(田口・手塚・深澤・藤井)


矢不来2遺跡出土の涌元式について
     葛西智義 
 『北海道考古学』35輯(1999)に掲載された鈴木氏の論文、「北海道渡島・桧山地域の中期末葉から後期初頭の編年」に自分が以前発表した見解についての疑義があります。本来は論文で返すべきでしょうが、それを書き上げる見込みが持てませんので、ここで回答したいと思います。

1.涌元2式について(15頁3~6行目)
 涌元2式のうち、2点が図示されていない理由は、代表的と思われたものを取り上げたためで、図示していない2点を涌元2式に含めないといった意図はありません。
 なお、土器の問題ではないのですが、その前段で、「大沼に従ったとされる」とあります。大沼さんと自分が同じ意見かどうかわかりませんし、涌元式の扱いで特に大沼さんと意見を交わしたことはありません。ただ、同じ遺跡(新道4遺跡)の調査報告に携わっていましたので、担当者である大沼さんから土器分類についての説明は受けています。「形式名を用いた」とか、「検討した」とかの表現にならないのは、鈴木氏の誤解か、“従った”との風評そのままの言いまわしに思われます。

2. 矢不来2遺跡の土器群について(17頁20~22行目)
 鈴木論文の図8-1がなぜ涌元1式なのかです。それは、氏の論文にあるように、図8全体を共伴土器とすれば、多くの土器が涌元1式段階と考えているためです。涌元2式として提示された4点には、縄線文の土器も縄文のみの土器もありません。涌元1(鈴木氏の図6上段)にはこれらがあります。矢不来2遺跡出土の図示された土器1個1個を涌元1のそれと涌元2のそれと比べていくと、前者に相当させられるもののほうがはるかに多くなります。また、両者の違いを自分は3点挙げました(沈線のめぐる口頚部での括れが明瞭になる・縄線文が消失する・沈線文が多用される)。矢不来2遺跡の土器はこのうち涌元1段階の特徴をより強く持っていることになります。図8-1の土器だけでなく、“矢不来2遺跡の時期”と考えれば、涌元1段階が中心といえます(縄文前期もありますが)。
 鈴木氏の論では、図8-1の土器と涌元2の土器は馬立1遺跡(馬立式)で共伴しているので、矢不来2遺跡出土土器は涌元2式となるようです。その馬立式には涌元1式は含まれていないのでしょうか。また、矢不来2遺跡の土器を涌元2式とした場合、涌元1式とどう区別するか、そのあたりの説明がほしいと思います。
 なお、矢不来2式と呼べば、当面、涌元1か、2かという問題はなくなります。資料的には矢不来2遺跡出土土器は後2者より優れていると思います。この場合に涌元1、2がどの段階にあたるかは、前者は鈴木氏の湯川式と矢不来2式の間に、後者は矢不来2式と浜松5式の間に置かれそうです。

3. おわりに
 以上、2点が私に向けられた疑問に対する答えです。私は鈴木氏の土器の位置付けに違和感を持ちません。ただ、その捉え方や扱い方に違いがあるように思っています。指摘された私の説は文章力のなさに加え、引用図がどれにあたるかを示していないなどの不備があります。いまさらながらといった感もありますが、当時の考えを改めて記して、終わりとします。
 私は地方差を気にしていましたので、大沼さんの編年(煉瓦台式→天祐寺式→涌元Ⅰ式→涌元Ⅱ式)の中に、地方差になり得るものがないかどうか、道南全体で同じような変化が捉えられるかを問題にしたつもりです。私の対比表で、空白や括弧になっているところが埋められなければ、知られている形式(私が扱った形式)には地方差の可能性があったり、遺構や土器以外の遺物の流れが追えないなどの問題が残っているとしたかった訳です。ただ、それが稚拙だったのは前述のとおりです。
 この文章での遺跡名や形式名、図示資料はほとんど鈴木論文のそれを用いていますので、特に引用文献は挙げませんでした。ただ、記述するにあたり、道立埋蔵文化財センター図書室から文献の情報をいただきました。今後、同室がさらに利用しやすくなることへの期待を込めて、明記いたします。
(平成12年1月23日 深川市教育委員会)

1999年度 遺跡調査報告会実施報告
 先日ご案内いたしましたとおり、今年度の遺跡調査報告会は、12月18日(土)午前10時から「かでる2・7」の4階大会議室で開催いたしました。内容は、前号のだよりでお知らせしたとおり、変更なく行うことができました。
 道央地区1(石狩・後志)は、運営委員の高橋理氏より概況報告がなされた後、札幌市内の遺跡を藤井誠二氏、恵庭市カリンバ3遺跡を上屋真一氏、石狩市紅葉山49号遺跡を工藤義衛氏の順で報告がありました。札幌市内の遺跡では、K39遺跡北18条道路地点の擦文時代の集落や低湿地部の調査報告が目を引きました。恵庭市カリンバ3遺跡は、新聞報道等でもすでに注目を集めておりましたが、副葬品として櫛が多量に発見された縄文時代後期末の土壙墓の報告に参加者は圧倒されていました。石狩市紅葉山49号遺跡では、河川遺構と名付けられた特殊な遺構の報告がなされました。
 道央地区2(胆振・日高)は、第5地区地域委員の青野友哉氏より概況が報告され、平取町亜別遺跡を森岡健治氏、えりも町油駒遺跡を赤石慎三氏より報告がありました。亜別遺跡では、Ta-b下層から炉跡を伴った建物跡や6本柱で構成された倉庫跡と内耳鉄鍋などの金属製品、擦文時代と思われる青銅製椀の出土が注目されました。えりも町油駒遺跡では、縄文時代晩期末から続縄文初頭の良好な資料が報告されました。
 道北地区(空知・上川・留萌・宗谷)は、第6地区地域委員の氏江敏文氏より概況が報告され、中でもコンピューターグラフィックを使った画像処理による遺跡の位置説明は参加者の関心を集めました。報告遺跡は、新十津川町総進不動坂遺跡第2次調査を長崎潤一氏、枝幸町ウバトマナイチャシを右代啓視氏より報告されました。新十津川町総進不動坂遺跡第2次調査報告では、第1次調査より下層から石器が発見され、火山灰の年代から推測するところでは、200,000年前の前期旧石器であろうという報告がありました。枝幸町ウバトマナイチャシでは、チャシの壕や土塁、チャシ内部の平坦部の発掘調査を行い、柱穴列や集石、焼土などが発見について報告されました。
 道南地区(渡島・檜山)は、第4地区地域委員の佐藤智雄氏より概況が報告され、上ノ国町勝山館遺跡を松田輝哉氏、木古内町泉沢2遺跡を鈴木正語氏より報告されました。上ノ国町勝山館遺跡では、慶長期と推定される遺物包含層より大量の木製品が出土し、中でもイクパスイの出土が注目を集めました。木古内町泉沢2遺跡では、縄文晩期の土器の底面及び周辺に散乱するように土製の黒玉44個が出土したとの報告がなされました。
 道東地区(網走・十勝・釧路・根室)は、第7地区地域委員の熊木俊朗氏と第8地区地域委員の松田猛氏により資料が作成され、松田委員より概況が報告されました。報告遺跡は、常呂町トコロチャシ跡遺跡オホーツク地点を熊木俊朗氏より2カ年に渡って調査された7号住居址について報告がなされました。
 最後に、お忙しい中、遺跡の概要やスライドを使って遺跡報告をして頂いた発表者の方々、各地区の概要をまとめていただいた地域委員や各遺跡担当者の方々のご協力により、会が盛況の内に終わることができましたことを感謝申し上げます。また、遺跡報告会資料集は好評につき完売いたしました。ご購入いただきました皆様に感謝申し上げますとともに、残念ながらお手にできなかった皆様には深くお詫び申し上げます。次年度以降は、今年度の反省を踏まえて運営していきたいと考えております。
                          報告会担当(高橋・長崎)
月例研究会の実施報告と発表者募集の案内
 去る平成12年2月5日(土)午後5時から、札幌学院大学A棟4階会議室におきまして、(財)北海道埋蔵文化財センター阿部明義会員より、「千歳市キウス4遺跡 調査結果の概要と遺物の二、三の様相」について、また、同じく(財)北海道埋蔵文化財センター藤井浩委員、山中文雄会員より、「キウス4遺跡R地区整理作業における土壌水洗処理による成果と問題点」について発表があった。
 現在キウス4遺跡は整理報告書作成が続けられているところであるが、今回は実際に整理作業を進めていく中で出てきた問題点や整理作業の方向性などについて、特に盛土遺構および伴出遺物の調査、整理に論点が絞られた。
 前段で、阿部会員より出土土器の詳細な属性分析とその可能性についての発表があり、後段で、藤井委員、山中会員より、盛土の土壌水洗処理による成果と今後の作業の展望などが示された。
 発表後、様々な角度からの意見交換がなされ、今後の報告書作成に今回の発表が生かされることを期待したい。
 なお、北海道考古学会定例研究会では発表者を募集しております。発表希望の会員の方おりましたら事務局までお問い合わせ下さい。

 次回予定 平成12年6月3日(土)17:00~ 札幌学院大学A棟4階会議室
  「マレクとアイヌ社会」 西脇対名夫氏
 11月予定 平成12年11月4日(土)17:00~ 札幌学院大学A棟4階会議室
  マリールイーズ・イニザン(Marie Louise INIZAN)博士
      フランス国立科学研究所研究指導部長
  Jacque TIXIERに師事、旧石器を石器技術学的に研究している。TIXIERの定年後1996年までイェーメンの先史時代調査隊を率いる。以前に来日し1ヶ月以上北海道に滞在して、押圧剥片剥離技術の研究を行ったことがある。講演タイトルの詳細は未定だが、旧石器に関係するトピックを予定している。講演は通訳つきでおこなう。
    ※都合により日程・内容等が変更する場合がございます。
               研究会担当 (田口・手塚・深澤・藤井)

新入会員・住所変更会員のお知らせ(略)


平成11年度遺跡発掘成果展のご案内

 (財)北海道埋蔵文化財センターでは平成11年度遺跡発掘成果展を開催致します。またあわせて,発掘調査報告会も実施致します。皆様奮ってご参加下さい。
 開催期間:平成12年4月6日(木)~5月28日(日)
 開館時間:9:30~16:30
 場所:北海道立埋蔵文化財センターホール
    展示遺跡 ウサクマイN遺跡,白滝遺跡群,都遺跡,日の出4・10遺跡
         キウス4遺跡,花岡2・3遺跡,シラリカ2遺跡,山崎4遺跡
内園6遺跡,対雁2遺跡
発掘調査報告会:平成12年4月22日(土) 13:30~16:00
         北海道立埋蔵文化財センター研修室
 問合せ先:北海道立埋蔵文化財センター・(財)北海道埋蔵文化財センター
      江別市西野幌685-1(文京台小学校隣)
      Tel.011-386-3231 Fax.011-386-3238  担当:普及活用課 越田賢一郎

 
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