2011年度 北海道考古学会 研究大会が開催されました

開催日:2011年4月23日(土) 
 会  場:北海道大学 学術交流会館

今研究大会は『北海道の縄文文化研究の今』をメインテーマに6名による研究発表とディスカッションが行われ、北海道の縄文文化研究の現時点における成果と今後の研究の方向性を探った。山原敏朗氏「旧石器から縄文へ-大正3遺跡の評価-」では、北海道における縄文時代草創期の存在が確かめられ、更新世末期の本州文化が存在したと考えた。ただし、これが北海道全域におよんだのか、更新世から完新世へと連続したのかなど残された課題は多く、北海道の旧石器文化の位置づけとも関わって今後も議論を要すると指摘した。

 

福田裕二氏「北海道における盛土遺構研究の現状」では、多くの遺構名称が明確な定義付けの不備を示すと指摘した上で、42例を集成しつつ時期毎の遺構のあり方や立地、形状、関連する遺構等の特徴から類型化を試みた。今後「盛土遺構」の定義付け、遺構形成の目的による厳密な分類を確立し、明確な類型化の作業がなお必要であることが再認識された。

 

「北海道縄文人によるサケ資源の集約的利用の確立・展開-石狩紅葉山49号遺跡の評価-」の石橋孝夫氏は、縄文中・後期の19カ所にのぼる杭列が、遡上魚類の定置式漁労施設であり、旧発寒川の流路更新の度に改修が行われたことを示すとした。また、直線や上流に向く「逆ハの字」構造が、アイヌのサケ捕獲施設「テシ」や「ウライ」と共通する点を指摘。さらにたたき棒、銛、大型のタモ(枠)、松明などともに、これがサケ類の捕獲施設であると判断した。以後続縄文から近世までの河川設置カ所の変動の背景は、道外地域との交易という枠組みを探る上で重要な視点となる。

 

國木田大氏による「北海道における縄文時代年代研究の現状と課題」では、北海道における年代測定研究をたどりつつその課題が提示された。海洋リザーバ効果、暦年較正、ウイグルマッチング法が取り入れられる一方で、実験処理やデータ解釈の議論が少ないこと、また特に海洋リザーバ効果の北海道資料への適用基準などが今後克服すべき検討事項であると指摘された。

 

西脇対名夫氏は「形態学的な方法-“謎”の側縁有溝石器の場合-」をテーマに、側縁有溝石器をモデルとして形態学的アプローチの一方法を示した。「論理以前の行為」や「論理以前の法則性」が無文字社会の遺物を対象とすることに「意味」をもたせることになる。側縁有溝石器は視覚的情報によって中期前葉の石冠を起源とする可能性が示された。

 

「東北地方からみた北海道の縄文晩期」の発表において関根達人氏は、続縄文文化と弥生文化の分岐点が何処に求められるかについて、縄文晩期における北海道と北東北間の交流、道内地域集団間の交流に視座をおきつつ土器の比較検討を行った。縄文後半に北海道で亀ヶ岡式の様相が強まるが、晩期末葉では両地域の遺跡数や土器の様相が相互に異なり、それまで両地域の一体性が失われていた可能性が指摘された。これを北東北における稲作受容への胎動ととらえることの是非は当初の問題点に立ち帰ることにつながり、土器以外の面からの検討を今後の方向性とした。

 

 その後の討論では、各発表者の事実確認や会場との活発な議論が展開し、北海道の縄文文化研究の課題の把握と今後の研究の方向性を確認することができた。

 







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