北海道考古学会たより 18号 

北海道考古学会だより 第18号

1983.10.31

「北海道考古学」に対するアンケート調査の結果について 
「北海道文化財研究所」の間題について 
〔各地のたより〕 
  今金町美利河1遺跡 
  美々4遺跡 
〔資料紹介〕枝幸町出土の土師器 
〔支部活動〕親と子の遺跡・史跡見学会 
会員名簿 
学会会則 
学会活動のおしらせ 
事務局からのお願い

 

『北海道考古学』に対するアンケート調査の結果について
 

 さきほど、標記の調査を行いましたところ、短期間に多数の皆様から回答を頂きました。回答総数は116通で、そのうち法人(団体)会員が3通ありました。現会員数は270名ですから、回答率は43%弱できわめて高く、会誌に対する皆様の関心のたかさをあらためて思いしらされ、編集委員一同、その責任をあらためて自覚させられた次第です。
 ご回答の結果については、紙面の都合もありますので概要にとどめさせて頂き、詳細は会誌の第20輯に公表させて頂きます。設間は三群にわかれ、(1)会誌の体裁に関するもの(とくに体裁の変更の可否)、(2)編集・刊行の方針、(3)その他のご意見、にわかれます。あらためて、このようなアンケートを実施したのは、常任委員会での提案にもとづいて編集委員会を発足させたものの、そこで打ち出した方針については、かならずしも充分な討議を重ねた結果ではなかったこと、方針討議の過程で、一部に体裁変更の声があがったこと、によるものです。
 結果を簡単に申しあげますと、変更を不可とする意見、現編集方針を可とする意見が圧倒的多数(75%前後)をしめております。当面のあいだ、編集委員会はこの結果をふまえて編集をつづけさせて頂くこととなります。言いかえれば、会誌の体裁は当分のあいだ変更を加えず、編集・刊行には『だより』第14号に掲載した方針にもとづいて行うということになリます。
 最後に、設間3に対するご意見・ご回答について一言のぺておきます。設問3に対する回答率はやや低く、有効回答数(105通)のうち、42%弱(44通)にとどまりました。そのうち、編集関係者に対するはげましの言葉などを除きますと、提案・ご意見の数は36通となり、ご提案・ご意見の延件数は42件となります。そのなかでとくに編集委員会としてとりあげる必要を感じたご提案・ご意見について9月24日に開かれた編集委員会での討議をふまえて、委員会としての方針を申しのべておきます。
 具体的なご提案・ご意見のなかでは、報告書・文献目録等の情報提供をのぞむもの、活字が小さすぎて読みにくい、というものが目立ちました。後者については、予算との関係もございますが、体裁について2段組み・ベタ組みの併用をのぞむ意見が多数(51%)を占めた事実と考えあわせ、しかるべく善処したいと考えます。前者については、会員のあいだの新しい二一ズの反映で従釆の方針では盲点となっていた部分であると考えます。現在の編集委員会、あるいは学会自体の力量で考慮しますと、ただちにご要望を全面的に実現するのは困難ですが、その方向でいくつか具体的な措置をとることは可能かと存じます。たとえば、会誌に書評・新刊紹介をかならず掲載するようにする、『だより』に販売・頒布を希望する報告書等を刊行した会員は、自分の責任で(たとえば400字前後の範囲で)内容・特色・発行所等を紹介する等の措置です。
 超過負担の問題にも少数(2通)ではありますが強い反対の声がありました。これは超過負担を否とするものが他の設問にくらべて高率(25%)をしめている事実と関連しております。アンケート前文に述べましたような、受益者負担の原則、さらに会員個々人の執筆・投稿の権利を会の財政のゆるす範囲で最大限に実現するため、さらには会誌の質的水準を維持向上させるための措置としておみとめ頂きたいと考えます。ただし、具体的条件(紙幅の規準・賦課料金)については現行のものを固守する意志はないことを申し添えておきます。 (編集委員長 林 謙作)

 

「北海道文化財研究所」の発足をめぐって
 

 周知のように、本年4月1日、「北海道文化財研究所」(以下「北文研」と略称する)が発足した。「北文研」の発足・同所が泊原発用地内の埋蔵文化財の調査を受託するにいたった経緯は、道教育委員会文化課の確認をえたところによれば、以下のとおりである。
会文化課の確認をえたところによれば、以下のとおリである。
「北文研」の設立は、現役員である峰山巖・山本慎一・藤本英夫諸氏が発案・企画し、実現したものであって、北海道教育委員会文化課が設立を推進したものではない。
 本年度の大規模開発にかかわる埋蔵文化財調査の要請面積は厖大なものであり、(財)北海道埋蔵文化財センター(以下「道埋文センター」と略称)の体制の強化につとめ、定員4名増という緒果をえたが、なお泊原発用地にかかわる文化財の調査には、昨年度の未整理分をもふくめて、対応しえないことが本年2月の段階であきらかとなった。そこで、文化課としては、北電が「北文研」と委託契約を行うことについて内諾するとともに、関係者に対して、泊原発にかかわる埋蔵文化財の調査を「北文研」が担当することについて諒承をもとめた。「北文研」が実施する調査については、市町村等の行う埋蔵文化財調査とおなじく、指導・助言の必要を感じており、文化課保護主事が機会あるごとに立ち寄るようにつとめている。また、文化庁記念物課技官の指導・助言をも求める予定であったが実現しなかった。
「北文研」の発足が道内の文化財行政に与える影響は決して小さくはない。会員各位がこの聞題に積極的な関心をよせられることを希望する。        (文責 林 謙作)

 

〔各地のたよリ〕
今金町美利河1遺跡 西田 茂・長沼 孝

 

 美利河1遺跡は、瀬棚郡今金町字美利河257・258番地に所在し、日本海側と内浦湾側の分水嶺にあたる美利河峠の北方約400m、標高150~160m、利別川支流のピリカベツ川左岸の丘陵上に位置している。
 丘陵一帯は、美利河ダム建設に伴う土砂採取工事が予定されているため、(財)北海道埋蔵文化財センターが発掘調査を行った。調査面積は約1,400平方メートル、南西にのぴる尾根状の平坦部のA地点と、丘陵緩斜面のB地点がある。B地点の発見の経緯、遺物の一部は、千葉英一氏によってすでに紹介されている(注)。
 遺跡は大部分が放牧地として利用されていたが、包含層への撹乱は少なく、保存状態はきわめて良好であった。基本的な層序は・I層黒色土層(表土層、黄褐色火山灰を含む)、Ⅱ層暗褐色粘土層(漸移層)、Ⅲ層明褐色粘土層(包含層)、Ⅳ層明黄褐色礫混り砂層(自然堆積層)である。Ⅲ層の包含層は、調査区の中心部では80~100cmの厚さがあり、遺物はその中位及び下位に集中がみられた。また、場所によっては多量の木炭片や焼土を伴うことがあった。
遺物の総数は、現在集計中であるが、現時点で2万点を越え、すべて旧石器時代のもの、と考えられる。石器は、有茎、半月形などの尖頭器をはじめ・彫器、掻器、削器、錐、両面調整石器、舟底石器・局部磨製石斧、敲石、台石、磨石、砥石など各種出土している。石核は大型の石刃核をはじめ、峠下型、蘭越型などの細石核も出土している、また石刃も石核に対応するように、大型のものから細石刃まで各種のものがある。石器の材質は、珪質頁岩が大部分を占めるが、他にめのう、黒曜石などがある。
 また、包含層中下位の多量の焼土を水洗したところ、5個体分の玉が発見された。直径8~5mmの平玉で、縄文時代のものと特に違いはないが、旧石器時代のものとしては、わが国において、はじめての出土であろう。              (道埋文センター)
 (注)千棄英一1980「瀬棚郡今金美利河遺跡出土の旧石器時代資料」「北海道考古学」第16輯

 

美々4遺跡 昭和58年度新千歳空港建設用地内埋蔵文化財発掘調査
野中 一宏

 

 美々4遺跡は、苫小牧市と千歳市の境界を流れる美沢川左岸(千歳市側)の標高23~25mの台地上と、それに続く斜面およぴ川沿いの平地に立地している。新空港建設の工事工程に伴い、これまでに昭和51・53・55年の3回にわたって発掘調査が行われ、縄文時代の遺構・遺物が多数検出されている(美沢川流域の遺跡群I・Ⅲ・Ⅳ)。
 今年度の調査は、従来の調査結果と同様、樽前山降下軽石c層をはさむ2枚の腐植土層(上位からI黒層、Ⅱ黒層)が主体である。現在までの調査結果の概略を層別に記す。
 I黒層:遺物は、遺構の掘り込みによってⅡ黒層から引き上げられたと考えられるものを除けば、縄文時代晩期末のものに限られ、大洞A式相当およぴタンネトウL式に類する土器が大半である。検出された遺構は土壙墓、その他の土壙多数である。土壙墓は新聞等で報道された「樹皮に包まれた遺体」を埋葬したものが、標高20mほどの緩斜面に位置するほかは、斜面下位に分布している。その他の土壙は、斜面中腹に集中しているが、遺物を伴うものは非常に少なく、大半は用途不明である。
 Ⅱ黒層:出土遺物は豊富で、縄文時代早期から晩期にかけてのものがあるが、後期末~晩期初頭のものが主体をなす。遺構には、周堤墓、土壙墓、盛り土を伴う墳墓・住居跡、Tピット、その他の土壙がある。周堤墓は、台地上に4基確認された。竪穴内には、それぞれ2個、20個、13個、1個の土壙墓がある。盛り土を伴う墳墓は縄文時代晩期初頭のもので、掘り込みがなく、窪地等を利用して遺体を埋葬している。住居跡は、縄文時代前期およぴ後期に属するもので、斜面下位に位置しており、川沿いの平地(調査区外)にも相当数の住居が構築されているものと考えられる。また、斜面下位の沢状に窪んだ部分には、支笏軽石流起源の火山灰の二次堆積層がみられ、焼土や炭化物とともに後期末~晩期初頭の遺物が多量に検出されている。
 以上、現在までの調査の概略を記したが、調査はなお続いており、今後周堤墓の部分的移設保存(土層転写・土壙の切り出し)、旧石器確認調査等を実施する予定である。なお報告書は年度内に刊行される。                 (道埋文センター嘱託) 

 

〔資料紹介〕 枝幸町出土の土師器  佐籐 隆広
 

 ここに紹介する資料は枝幸郡枝幸町字幸町12番地の8に所在する秋山実氏の鉄工場建設工事の際出土したものである。
 この地域は以前よリ枝幸漁港遺跡(埋蔵文化財包蔵地調査カード登録番号H-05-9)として周知されており、後藤寿一氏(1932)などによって紹介されているが組織的な発掘調査が実施されたことはなく、遺跡の性格も明らかにされぬまま住宅、工場、倉庫などがたちならぴ、今日にいたっている。
 今回の出土も前述したように工場の建設工事に伴ないバックホーによって掘り上げられたものであリ、その出土状態などを知ることはできなかったが伴出した土器の多くはオホーツク式土器であり、他にわずかではあるが続縄文式土器と擦文式土器が認められた。また自然遺物としては多量の貝と骨(海獣骨?)が出土している。
出土した土師器は全体の1/2ほどであリ、器高5.5cm、口径は推定で18.5cm。器形は口縁部から胴部にかけてはゆるやかな弧を描き、胴部の下位には明瞭な段を有している。底部は弱い丸底をなし、ロクロ痕は認められない。器面調整としては内外面胴部は横方向に、内面底部は放射状にヘラミガキが施されておリ、焼成は良好で胎土には小さな礫と長石が少量ふくまれている。色調は焼斑のため黒色と褐色をなし、内面には黒色処理が施され光沢がみられる。
 さて、共伴した土器であるが、続縄文式、擦文式のいずれの土器も小片で数も数片ときわめて少ないことよりオホーツク式土器がもっともその可能性が強いと思われる。しかしながらオホーツク式土器の内容も摩擦式浮文、刻文、貼付式浮文、ソーメン文など多種であリ、本土師器がどの段階のものに伴なったかは明らかではない。  (枝幸町教育委員会)
参考文献 後藤寿一 1932「枝幸町の遺跡」『蝦夷往来』10

 

〔支部活動〕
親と子の遺跡・史跡見学会

 

 北海道考古学会札幌支部は、8月11・12日にバスによる1泊2日の遺跡・史跡見学会を実施した。参加人員は51名、委員会からは天野・大島・工藤・田村の4名が添乗した。
 小雨の中、札幌駅北口を出発、小樽忍路環状列石はカサをさしての見学になリ雨に始まった見学会初日であったが、余市フゴッペ洞窟に着くころから晴問が広がり旧下ヨイチ運上屋では心地良い潮風の中で見学することが出来た。午後は余市水産博物館→岩内町郷土館→ニセコ町立有島記念館の順で巡リ第1日目の日程を終了し、ニセコ昆布温泉に宿泊した。
 第2日目は寿都町朱太川右岸2遺跡の見学およぴ発掘体験学習を行なった。天候は晴、遺跡や発掘調査の方法・心得などの説明を受けた後、数班に分かれて約1時間小ピットや土壙の発掘調査を体験した。調査後はこれまでに出土した遺物を直接見たリ触れたりする機会を得ることができた。午後、全日程を終了し札幌に帰着した。
 なお、この見学会において施設の無料見学を心良くお引受け下さった関係機関、各位の方々、また、寿都町では教育長をはじめ、遺跡調査にたずさわっている皆様に大変お世話になりました。厚く御礼申し上げます。 (田村俊之)

 

札幌市内の博物館見学会開催について
 

 札幌支部では、下記の日程で、札幌市内の博物館・資料館の見学会を開催します。
日時:昭和58年10月30日(日)9時~16時
コース:札幌駅北口~北大遺跡保存庭園~北大埋蔵文化財調査室~北犬植物園付属博物館~札幌市考古資料室(札幌市資料館)~知事公館内公園~北海道開拓記念館(普及講座含)~札幌駅北口
参加費:大人2,OOO円、小人1,800円(昼食持参)(定員は50名先着順)
申込み:住所・電話・参加者全員の氏名と年令を必ずハガキで下記まで。
(住所略)上野 秀一

 

会員名簿表・会則(省略)

 

 

学会活動のおしらせ(△印は札幌支部活動)

 今年秋から来年にかけて、次のような活動を予定しています。多数のご参加をおまちしています。
△10月9日 公開講演会(北大北方文化研究会主催,北海道考古学会札幌支部協賛)
「螢光X線分析法による石器原材の産地推定」 講師 京大 東村武信氏
北大文学部301号会議室
△10月30日 札幌市内の博物館見学会(詳細前掲)
12月3日  遺跡調査報告会(研究会も兼ねます。終了後、懇親会を予定しています)
札幌市教文会館講堂14~17時(中央区北1西12)
△1月中   映画上映会(未定) (講師 岡田淳子氏予定)

 

 

事務局からのお願い

○ 『北海道考古学』第20輯の一般原稿を募集しています。投稿希望の方は、題名・原稿の長さ等について下記編集委員会事務局まで、あらかじめご連絡下さい(11月上旬〆切)。
(住所など略)林 謙作
○ 『北海道考古学会だより』第19号の原稿を募集しています。各地の最新情報、資料紹介、紀行文、書評、新刊紹介等をどしどしお寄せ下さい。次号の出版予定は1月中旬頃(変更)で、編集担当は下記のとおりです。
(住所など略)工藤研治 
○ 会費(年2,500円)は、前納制になっていますので、未納の方は速やかに納入して下さい。送金は郵便振替を御利用下さい。

 

編集委員会からのお願い
 現在、会誌第20輯の準備をしておりますが、その中で「北海道考古学会20年小史」という題で、20年間の会活動の記録を年表形式で載せたいと考え、小委員会(野村崇・出村文理・菊池俊彦・上野秀一)を発足させ作業を進めています。しかし、会誌・だよりなど印刷物になったもの以外については、(特に委員会制度発足=昭和51年以前は)ほとんど記録がない状態です。
 当時のパンフレット・レジュメ・メモ・写真などの記録とか情報をおもちの方がいらっしゃいましたら、些細なことでも構いませんので、小委員会ないし事務局まで御連絡下さい。

〔おわびと訂正〕
 『北海道考古学会だより』第17号の2ぺ一ジ目の「昭和58年度第21回総会」の記事中において、新委員の佐藤隆広氏を佐藤和利氏と誤記されていましたので、ここに訂正いたします。
 『北海道考古学』第19輯の51ぺ一ジの田村俊之氏の所属が「北海道埋蔵文化財センター」となっていますが、「千歳市教育委員会」の間違いです。

 

 

 
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