北海道考古学会だより 20号


1984年度第22回総会(記事) 
北街道の埋蔵文化財行政にかかわる要望書の提出について 
〔1984年度第22回総会研究発表要旨〕
「天塩川流域のチャシ立地について」(鈴木邦輝) 
小委員会の発足について 
おしらせ 


 

1984年度第22回総会(記事)
 1984年度の第22回総会は、6月2、3日の両日、旭川市にて開かれた。開催にあたっては斉藤傑氏をはじめとする道北地区の会員や旭川市教育委員会、旭川市立旭川郷土博物館、優佳良織工芸館、川村カ子トアイヌ記念館、北海道民芸品㈱、山川久明諸氏から絶大なるご援助・ご協力を頂いた。関係各位・機関に紙上をかリて厚く御礼申し上げる次第である。
 ○総会(6月3日 9:OO~10:30,於旭川パークホテル,出席者約45名)
 開会の辞・委員長のあいさつにつづき、道教委文化課の中村福彦氏を議長に選出し、会務報告、会務協議(後記)に入った。委員会提案の会務報告(事業報告、会計報告、監査報告)および会務協議(本年度活動方針・同予算案)は原案通り承認され、その後林謙作会員から提案された「『北海道文化財研究所』にかかわる道教育委員会に対する要望書」を協議題として取り上げ、討議した。活発な議論の末、"提案の主旨そのものには異議はないが、内容については、現在休止状態にある埋文小委員会を再編成し、小委員会で検討した上で、道教委に要望書を提出する"ということが決議された。
 ○研究発表(6月3日 10:30~13:00,於旭川パークホテル)
 "道北の考古学"のテーマのもとに、佐藤和利氏が「紋別地方の最近の発掘調査から」、鈴木邦輝氏が「天塩川流域のチャシについて」、そして千葉市教委の穴沢義功氏から「古代関東地方における製鉄・鍛治遺構の調査方法について」、と題する研究発表があった。各発表の概要は別記した通りである。
 総会が長びき十分な討論は行えなかったが、特に穴沢氏の発表は、道内では発見例が少ない、製鉄・鍛治関係遺構・遺物の調査方法を主とした内容で、今後道内でも詳細な発掘を通じて、関連遺構等の検出が期待されるという点で極めて有意義であった。
 多忙な日程をぬって参加下さった報告者の方々には深く感謝したい。
 ○見学会(6月2日13:30~17:00)
優佳良織工芸館、旭川郷土博物館、川村カ子トアイヌ記念館を斉藤傑氏の案内で見学した。
 ○懇親会(6月2日18:30~20:30,於旭川パークホテル)

 

1983年度活動報告 
 1983年度における本会の活動は次のとおリである(△印は札幌支部活動)。
5月28,29日 第21回総会(於札幌市教文会館講堂、出席者約50名)(1)総会(役員改選、「北海道文化財研究所」の設立についてほか)(2)研究発表(テーマ「擦文時代の集落と生業」、発表者 石附喜三男・大井晴男・海保嶺夫ほか)
△8月11,12日 遺跡・史跡見学会(小樽~余市~寿都方面、参加者55名)
△10月9日 公開講演会:東村武信「蛍光X線分析法による石器原材の産地推定」(北大北方文化研究談話会主催・札幌支部協賛、於北大文学部、参加者約20名)
△10月30日 札幌市内の博物館見学会(北大~札幌市資料館~知事公館~道開拓記念館、参加者43名)
△12月3日 遺跡調査報告会(兼研究会、於札幌市教文会館講堂、参加者59名)、懇親会
△1月21日 映画上映会:「エスキモーの生活」(岡田淳子先生解説)(於札幌市教文会館講堂、参加者33名)
定期刊行物としては、『北海道考古学会だより』第17,18,19号、『北海道考古学』第20輯記念特集号を刊行した。
今年は、会誌も20輯を数え、会誌の売上げも年々好調な延びを示し、道外での評価も高まってきた。会員数も300名近くに達し、地方学会としては大所帯になってきている。この間の歩みは、会誌20輯の学会20年小史に詳しい。
しかし、他の地方学会がみなそうであるように、事務局部門には専従者がいないため、会員各位には種々不都合をおかけしていることを深くお詫び申し上げる次第である。
学会活動も委員会体制成立前後から、各種普及啓蒙活動は定着してきたが、学会のもう一つの側面である研究会の方は、年1回開催するのがやっとで、充分な準備期間がないため、内容は必ずしもよい成果を挙げているとはいえない。
また、各種普及活動も、道央圏を中心とした活動がほとんどで、常任委員中心の学会の観が強くなリつつある。本来、北海道考古学会は、北海道および周辺地域の考古学研究を目指す研究者の団体であリ、しかも北海道という広大な土地の中で、各地域毎に強い個性をもっておリ、各地域毎の活発な支部活動と組織づくりをすることが、学会の基盤を確固たるものにするためにも必要かと考えられる。
今後共、学会への積極的な参加と新しい活力の注入、そして斬新な提言を望んでやまない。(上野秀一)

北海道の埋蔵文化財行政にかかわる要望書の提出について
去る6月3日、旭川市において開催された北海道考古学会昭和59年度総会において、林謙作会員から「北海道文化財研究所」にかかわる文化財行政についての要望書の提出について提案があり、総会において活発な討論のあと議決されたところでありますが、細目については、委貝会にゆだねられておりました。委員会としましては、さっそく前記のように埋蔵文化財小委員会を再構成し、第1回埋文小委を7月7日(土)に開催しました。このなかで間題点を整理し、その後、数回にわたって道教委側と接衡するなかで過去の経緯等を明らかにしてきました。8月20日(月)に第2回埋文小委を開催し、以上の経緯を確
認したあと、9月5目(水)に別添の北海道教育委貝会教育長あてに「北海道の埋蔵文化財行政についての要望書」を委員長名で提出いたしました。要望書の内容は以下の通リです。(文責・野村崇)

北海道の埋蔵文化財行政についての要望書(案)
北海道考古学会は、昭和47年度に「苫小牧東部地域開発と遺跡保存について」の要望書を北海道教育委員会に提出して以来、北海道の埋蔵文化財施策に関する幾つかの重要な提言を行ってまいりました。
昭和58年度に開催されました本会総会の決議にもとづいて「北海道文化財研究所」(以下「北文研」と略称する)の設立経緯等について、貴教育委員会に照会したところでありますが、まだ幾つかの点において疑義が残されております。また、昭和59年度、総会の席上においても、「北文研」が恒久的な組織であるのか、あるいは泊原子力発電所用地内にかかわる埋蔵文化財調査に対応するための一時的な措置であるのかという基本的な問題についてさえ不明なままに事態が進行しているという指摘がなされております。
北海道教育委員会において、「北文研」が泊原子力発電所内の埋蔵文化財調査に関与することを認めたことは、同教育委員会が従来から推進してきた「市町村における文化財専門職員の配置拡大による埋蔵文化財保護体制の強化ならびに公的責任のもとにおける埋蔵文化財の保存」という方針と矛盾するものと考えます。
このような状況のなかで、私達はあらためて以下の提案をおこないます。

(1) 「北文研」はその設立経緯が不明朗であり、このような組織が事前調査にかかわることを安易に承認することは、行政当局の責任回避である。北海道教育委員会は従来の方針を堅持し、北海道埋蔵文化財センター・市町村教育委員会の体制強化によって、事態の打開をはかるよう努力すべきである。
(2) 北海道教育委員会は、本道の埋蔵文化財行政を推進する上で、本会の提言を積極的に反映するよう要望する。そのために前記(1)の件を含めて、本会と早急に話し会いの場をもつことを要望する。
 

なお、9月15日の要望書提出に際しては、要望書の主旨を説明した後、今後この要望書に対する回答を得るための機会を設定するよう働きかけ、これについて予備的に協議しました。協議には、当会より野村委員長、林、大島両埋文小委員が、出席しました。
協議の結果、一応10月の下旬に第一回の会合を設定することとし、日程および出席者の規模については、後日再度調整することで協議を終了しました。   (文責 大島直行)

 

1984年度第22回総会研究発表要旨
天坦川涜域のチャシ立地について
鈴木邦輝

近年、チャシ研究は多方面より意欲的に試みられている。今回の発表はチャシの分析的研究事例の一つとして、アイヌ期の所産であるチャシを、その前文化段階である擦文遺跡立地、アイヌ期の集落(コタン)立地と鮭の産卵床(イチャン、メム)分布からその関連性を考えようとするものである。
天塩川流域のチャシは現在のところ確認されたもので5ヶ所、未確認ながら地名等からその存在が確実視されるものを含め9ヶ所が立地する。道内で流路延長第2位、流域面積第3位の天塩川水系の規模からすればチャシの数は少ない数であろう。型式的には丘先式が大部分を占め、また本流路沿いのチャシ立地については、約20㎞毎に立地する「等距離性」が字田川洋氏によって立地上の特色として指摘されている。
天塩川流域の擦文期の遺跡は、分布調査等の精粗があるが、約34ヶ所存在する。その立地傾向は藤本強氏によれば下流域の天塩原野内に見られるものと、名寄盆地北縁から山峡地帯にみられる遺跡に二大別されるという。規模的には100~200軒以上の大集落を有するのが下流域の遺跡で、中・上流域の山峡地帯の遺跡は10~30軒の中小規模であり、その規模の違いが歴然としている。チャシの立地は、上・中・下流域を通して普遍的な立地を示しているのに対して、擦文遺跡は上・下流で規模的に分かれておリ、遺跡の規模とチャシ立地とは直接的な関連が見い出せないように思える。
次にアイヌの居住地であった集落との関連について考えてみたい。松浦武四郎の『天之穂日誌』(1857年)、興津寅亮の『天塩川沿岸状況調査復命書』(1894年)等の19世紀後半の文献資料によると、天塩川流域の集落は本流と大支流(安平志内川、ペンケニウプ川、名寄川、剣淵川)との合流点近くにみられる。規模的には上流部は小規模で、合流点を中心に稠密な分布を示し、中流部のコタンは散在的な分布を示している。また、サロベツ川から問寒別川間、名寄川から剣渕川間の各々の本流との合流点間には、比較的長距離にわたる「コタン空白地帯」が存在する。チャシは現在のところこのコタン空白地帯には立地していない。
「イチャン」と言われる鮭の産卵床は、河川内陸部における食料獲得地点として集落とも関連しつつ重要な意味をもつ。松浦武四郎の『東西蝦夷山川地理取調図』(1859年)、道庁地理課の『北海道切図』(1897年)等のアイヌ語地名が多数記載されている地図より「イチャン」地名とそれに関連する「メム(湧水)」地名を抽出するとその分布には流域に4ヶ所の集中域が見られる。下流よリ安平志内川合流点付近、ペンケニウプ川合流点付近、名寄川沿い、士別市上士別付近でまとまった分布を示しているのが特色である。チャシは、この鮭産卵床分布帯の中、もしくは隣接した形で9ヶ所中、6ヶ所が立地する。特に、中・上流域では7ヶ所中6ヶ所がそれに相当し、チャシと鮭産卵床には強い関連性が考えられよう。
擦文時代遺跡立地を別として、アイヌ期の集落立地と鮭産卵床分布からチャシ立地を分析してみたい。その方法として、各々の分布と立地を図化したものを一つの図上に単純に投影すると、次の事が言える。一つには、河口部を除き集落立地帯と鮭産卵床分布帯とは、前者が後者を内包する形で重複すること。もう一つには、チャシは、集落立地帯と鮭産卵床分布帯内か、その隣接地に立地するという事である。以上の事から、アイヌ期のチャシ、集落、鮭産卵床には密接な関連のある事が指摘されよう。
しかし、今回の分析も出典文献資料とチャシ構築期との時期的差や集落の安定性等を考慮外においた、いささか全体的傾向を模式化した分析例である。今後は、これらの問題点を含め、川筋を利用した交通路や水系を接する他地域、他水系との比較分析が必要となってこよう。こうした分析例の方法論も含めて、検討・ご批判願えれば幸いである。
(市立名寄図書館 郷土資料室)

 

小委員会の発足について
会規約にもとづいて、下記の二つの小委員会が発足し活動を開始しております。両委員会の委員の任期は、現委員長の任期期問である1984年度いっぱいということになります。
(1)埋蔵文化財小委員会
6月2日の旭川大会において決議された北海道教育委員会の埋蔵文化財行政(特に北海道文化財研究所問題を含めて)にかかわる諸問題について検討を行うべく、6月30日に下記の委員が決まりました。現在、鋭意、問題点を検討中です。
(委員長)野村崇、(委員)上野秀一、大島直行、天野哲也、直井孝一、工藤研二、田村俊之、長沼孝、林謙作、大谷敏三
(2)編集小委員会
「北海道考古学」第21号を、昨年同様、編集小委員会を設置して精力的に行うことになリました。
(委員長)林謙作、(委員)上野秀一、大島直行、松岡達郎、野村崇
○ 札幌支部では、8月8~9日「親と子の史跡めぐり」を企画し、50名余りの参加者をえて日高管内を巡検しました。
○ 「北海道考古学」第21輯の原稿を募集します。ふるって御投稿下さい。なお、「要項」は、「だより」の14号を御覧下さい。締切は12月20日ですが、題目と要旨を早目に、林編集委員長宛送って下さるようおねがいします。
○ 原稿未着で今回掲載できなかった、総会での御二方の研究発表要旨は次の号に是非のせたいと思います。御了承下さい。
【『十勝考古』第6号の刊行について】 (石橋次雄)
十勝川流域史研究会の機関誌である『十勝考古』第6号が発刊されました。本誌は10周年記念特集号ということで、北海道・十勝を中心とした論文が掲載されています。ご希望の方に頒価2,000円(送料200円)で頒布しているので下記まで申し込み願います。
<体裁・内容〉 B5判、76頁、2段組、1983年12月刊
・10周年記念号を発刊するにあたって (石橋次雄) ・十勝川流域史研究会10年の歩み (事務局編)
・黒曜石水和層年代測定法の現状と謀題 (近堂祐弘) ・北海道における溝状ビットの自然科学的検討 (佐藤孝則)
・Spfa1二次堆積層中発見の剥片尖頭器 (石橋次雄・大槻日出男)
・ 十勝地域における先土器時代研究の規状と展望
―資料紹介を中心として― (松井泉)
・石刃鏃文化の土器群―その時空間的変移― (佐藤訓敏)
・大樹町上萌和1遺跡の調査 (石橋次雄)
・十勝太若月遺跡の恵山式土器をめぐって (乾芳宏)
・チャシの型式分類に関する予察 (後藤秀彦)
・大槻文彦の十勝七郡風土記 (井上寿)
・酒詰先生の思い出 (石橋次雄)
申し込み方法  振替 小樽8-9992
十勝川流域史研究会
 
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