北海道考古学会だより 58号

 

 訃報    石川辰也氏を哀悼する
    報告会   1997年度遺跡報告会のご案内
    事業報告  1997年度北海道考古学会主催遺跡見学会報告
    緊急報告  千歳市美々貝塚北遺跡について
    書評    『大谷地貝塚と五十嵐 鐵-余市式土器をめぐって-』
    事務連絡  会費滞納会員に関する事務処理規定
          新入会員・住所変更会員のお知らせ
          研究大会の地方開催について
          保護問題懇話会(仮称)について
          北海道考古学会だよりの充実に向けて
    編集委員会 『北海道考古学』第34輯の原稿募集について
    研究会  北海道考古学会月例研究会の実施報告と案内
    案内    北海道開拓記念館「擦文文化」特別展のご案内

石川辰也氏を哀悼する  右代啓視

 石川辰也氏は、北海道考古学会々会員として、会の設立当初から発展を心から願っていた一人であります。また、会の準備から発足まで、さらに初代役員としてご尽力を賜ったことは、当時を知る方でなければご存じないことかも知れません。
 今年の夏、北海道新開8月9日付の朝刊、死亡公告欄に石川氏が北海道考古学会にたいして残された言葉が掲載きれました。「北海道考古学会々員の方々には、折りにふれご親切なご指導をいただき有難うございました。最後になりましたが、昭和38年拓殖銀行本店会議室における設立総会の熱意が忘れられません。(まま)」とあります。8月6日、午後6時23分、享年69歳をもって他界されました。心からご冥福をお祈り致します。
 石川氏は、北海道拓殖銀行稚内支店時代ころから北海道の考古学に興味をいだき稚内や猿払村などで調査を行い、1965年『宗谷郡浜猿払村遺跡の資料について』「北港道の文化8」、『北海道宗谷郡浜猿払遺跡発掘調査報告』「北海
道考古学第2輯」(松下亘共著)、1970年『宗谷郡猿払村出土の櫛目文土器について』「北海道の文化18」などの著書を残されています。その間、同銀行の業務も多忙となり、札幌、東京、帯広、釧路などと転勤を重ねるたぴ考古学とはだんだん縁遠くなり、平成元年同銀行を役員で定年退職されるまで、考古学に直接たずさわることはなかったと言います。その後、東光電気工事株式会社、東光工材株式会社の役員に就任され、ようやく平成3年ころからやり残した考古学に手をのばせるようになってきたと開きます。
 私は、このころから石川氏とのおつき合いがはじまり、稚内市声問貝塚や宗谷、猿払村などの遺跡の分布調査などを一緒に行わさせていただきました。特に、オホーツク文化の土器について興味をもたれ、私と共通の課題を抱えておられました。ちょうど、声問貝塚の下位にある弥生海進期に形成された自然貝殻層の発見もこのころで、調査にも同行してくださいました。この調査の道中で、昭和38年10月19日に札幌の拓殖銀行本店会議室で開催された設立総会では、北海道考古学に想いをよせるわずか十数人の方々の熱意、情熱、その勢いは凄まじいものがあったことをお聞きしました。また、この年は、北海道青年人類科学研究会(8月11日)、北海道人類学協会(9月15日)の発足など考古学のみならず人類学、民族学、関連諸科学など学際的な研究がスタートしはじめた時期でもあったと思います。これからは、やり残した考古学について、時間をかけじっくりまとめていきたいこともお聞きしました。
 しかしながら、私にとって8月9日付の新聞は、あまりにもショックであり、つい数カ月前の5月に私が勤務する北海道開拓記念館で今年の調査の日程について打ち合わせたばかりでした。しかも、6月のはじめ、入院先の札幌医科大学附属病院から電話いただき、あまり良い病気ではありませんが、9月ころまでには退院できるとのことでした。あまり良くはないとの連絡でありましたが、それにしてもお元気なお姿を拝見してから、わずか数カ月のできごとでやりきれない想いがつのるばかりでした。
 5、6年のおつき合いでしたが、考古学の研究をやり残した残念さ、無念さ、やりきれない想いが、また北海道考古学会の発展を心から願い、考古学にたいする熱意と情熱をかたむけた一人だったと、私は思います。
 最後になりましたが、石川氏の遺言により石川フミ夫人からのご依頼を受け、10月20日、北海道考古学会に寄付金を預かり、10月21日、北海道考古学会高椅正勝委員長にお届けしたことをご報告いたします。
 残されたご遺族の方々に、重ねてお悔やみ申し上げます。
                                      合掌

 

 

1997年度遺跡報告会のご案内
 毎年恒例となりました遺跡報告会を今年も開催する運びとなりました。道内各地域で調査された遺跡について、地域ごとの概況とスライドによる報告という2本立てで、全道的に網羅した内容となっております。
 特に今年は、南茅部町大船C遺跡、千歳市美々貝塚北遺跡・キウス4遺跡・ユカンボシC15遺跡など、新聞等で話題となった遺跡の報告が予定されております。年末という大変お忙しい時期でもありますが、奮ってご参加いただけますよう委員一同お待ち申し上げております。
 また、会終了後には忘年会(当日連絡)も予定しておりますので、そちらの方もよろしくお願いいたします。

   日時:1997年12月13日(土) 午前9:30受付開始(10:00から報告)~午後5:55
   場所:かでる2・7(札幌市中央区北2条西7丁目 TEl011-275-5527)
   費用:1,000円(資料代)
   内容:道央部の概況と事例報告(美々貝塚北・キウス4・ユカンボシC15遺跡他)
   道南部の概況と事例報告(大船C遺跡)
      道東・道北部の概況と事例報告(常呂川河口遺跡他)
 報告会担当(赤石・高橋)

 

1997年度遺跡報告会実施報告
 1997年12月13日(土)午前10:00より、かでる2・7において、「1997年度遺跡調査報告会」を実施いたしました。今年も昨年同様、各地区の概況と話題となった遺跡を報告する形で行い、概況報告が5本、遺跡の報告が10本と盛りだくさんの内容でした。
 高橋正勝委員長の挨拶を皮切りに、昼休み,3時の休憩を挟みはしましたが,道央地区,道南地区,道東地区,道北地区と各地の報告が7時間近くにわたって続き,さながらマラソン報告会の様相を呈していました。会場には、早朝からたくさんの方々がおいでになり、午前中でほとんどの座席が埋まってしまうほどの賑わいで,各地の今年度の成果に耳を傾けていました。資料集も午前中でほとんど完売してしまい,会員の方々以外にも興味のある方がたくさん会場を訪れていたように思います。
 今年は運営委員が代わってはじめての報告会だったため、いろいろと不慣れな部分があり、特にスライドの順番を間違ったり、焦点を合わせるのに手間取ったりするなど、発表者と会場にお越しの方々にたくさんのご迷惑をおかけしました。この場をかりてお詫び申し上げます。また年末のお忙しい最中に、快くご発表をお引き受けいただいた発表者の方々に厚く御礼を申し上げます。
(秋山)

1997年度北海道考古学会主催遺跡見学会報告
 北海道考古学会の遺跡見学会が8月30(土)に「発掘銀座」と呼ばれ、近年、道内で最も発掘調査が集中している恵庭市・千歳市で実施されました。見学者は昨年度の約半数の65名で、8時30分に札幌駅北口東側に集合し、予定通り出発しました。
 見学した遺跡は恵庭市教育委員会のカリンバ2遺跡、(財)北海道埋蔵文化財センタ-の恵庭市ユカンボシE7遺跡・千歳市ユカンボシC15遺跡・千歳市キウス7遺跡、千歳市教育委員会の美々貝塚北遺跡です。カリンバ2遺跡では恵庭市教育委員会の上屋・松谷・佐藤さんの説明で、北筒式土器期の住居跡や擦文期の住居跡から出土した銅鋺等を見学しました。そして、参加者は実際に銅鋺に触れその「薄さ」・「精巧さ」に驚いていました。
 ユカンボシE7遺跡では、立川さんの説明で縄文時代の住居跡・Tピット(落とし穴)を見学し、その後、発掘調査の「醍醐味」・「面白さ」・「辛さ」について参加者と作業員が語り合い、大ベテランの作業員さんから「実際に発掘に参加しないとその楽しさがわからないから」と調査に誘われる参加者も見受けられました。

 

 

 

 

 

 千歳市のサ-モン・パ-クで昼食となり、昼食後、「サケのふるさと館」を見学したり、野外で溯上する鮭・鱒・ヒメマスなどを眺めて過ごしていました。
 ユカンボシC15遺跡では西田・鈴木・大泰司さんの説明で、縄文時代~擦文時代の住居跡や土器・石器、低湿地から多量に出土している木製品の検出・出土状況を見学した後、出土した櫂・制裁棒・曲げもの等の木製品について説明を受けました。
 キウス7遺跡では、笠原・熊谷さんの案内で縄文時代早期後半の住居跡群を見学、住居跡の構造上の特徴や遺物の出土状況から推測される住居内の間取りについて説明を受け、参加者からは竪穴住居跡内での生活について多くの質問が飛び交いました。
 美々貝塚北遺跡は、調査担当者から『是非「畠状遺構」を多くの人たちに見て欲しい』との要望があり、急遽、日程を変更して組み込みました。美々貝塚北遺跡からは縄文時代前期前半の住居跡群・土壙墓群・貝塚・盛土遺構・「畠状遺構」等が検出されています。今回は特に多くのマスコミが報じた「畠状遺構」を中心に見学し、千歳市教育委員会の田村さんから「畠状遺構」検出の経緯や「畠状遺構」認定の問題点を窺いました。
 遺跡見学会は、ここ数年、130名前後という大規模な見学会を行ってきましたが、参加者からは「見学時間が少ない」・「人数が多く、現地説明が聞き取りにくい」、受け入れ側からは「人が多すぎて、現地案内・説明がしずらい」との意見があり、これらの意見・要望に応え、募集人数を減らしました。その結果、移動や遺跡・遺物の見学が比較的スム-ズに行われ、参加者からは「説明が聞き取りやすい」という声が聞かれ、現地担当者との質疑応答が飛び交い、説明者を困らせる場面も見られました。
 遺跡見学会については参加者の意見・要望を取り入れ改善して行くつもりです。是非、意見・要望を実行委員にお知らせください。      
                           見学会担当(熊谷・松谷・吉田)

 

 

千歳市美々貝塚北遺跡について
 千歳市美々貝塚北遺跡が話題となったのは、検出された縄文時代前期の「畠状遺構」の報道によるところである。北海道考古学会委員会では、縄文時代における農耕の存在が話題となってきた現在、「畠状遺構」の保存の必要性について9月の委員会の中で検討した。
 その結果,一部には真に「畠跡」かどうかはともかく稀有の遺跡であるのでまず可能な限り保存し,検証していくべきであるとの意見もあったが,明確に「畠跡」として認定されるまでは遺構の保存の具体化は困難であろうとの意見が大勢を占めた。あわせて「畠状遺構」の評価について,調査主体である千歳市教育委員会の見解を確認する必要があると判断した。
 これに基づき,9月17日に西脇委員が千歳市教育委員会の大谷敏三埋蔵文化財センター長から聞き取りをおこなった。その内容は概ね以下のとおりである。
 a)調査・工事の日程
  8月29日に調査を終了し、市建設部に現地の管理を引き渡した。工事は近日発注の予定で,年内には着工の見込み。平成12ないし13年完成予定の国庫補助事業。
 b)工事内容
  工事原因は汚泥処理施設の建設(市下水道課所管)。現況から切り下げる地盤設計で、施設地下は沈澱槽としてさらに掘削。建物のほか駐車場・緑地等。
  既存の焼却施設の余熱を利用するため移転は困難。美々プロジェクトのため、適当な建設地も限られる。すでに遺跡のうち「北貝塚」保存のため施設配置の変更を協議中で、施設の規模等からさらなる変更は不可能と判断。
 c)「畠状遺構」の内容
  千歳市の資料「千歳市美々貝塚北遺跡」によれば、次のとおり。
 「畠状遺構」は東西の盛土の内側の東西の墓域のさらに内側に南北に2条が残されていた。ちなみにこの東西の「畠状遺構」は12~13mの間隔をもつが、そこでは遺構はまったく検出されておらず、当時の道路として使用されたものと考えられる。(略)
  この畠状遺構は盛土遺構形成の際に地形が大きく削平され、いわゆる地山の恵庭aローム(一部樽前d)が露出している部分を掘り込んでつくられている。畠状遺構を構成する土(畠土)は黒褐色から暗褐色を呈し、非常に柔らかい土壌である。この土を取り除くと、非常に凹凸に富む恵庭aロームがあらわれる。この凹凸は畠状遺構の部分のみにあることより、人為的に掘り込まれたものと判断される。またこの恵庭aには、石斧の刃部の痕跡が残されており、遺跡で非常に多く検出された磨製石斧が土壌の撹拌(例えば掘り起こし、何らかの作業の収穫など)に使用されたと考えられる。(略)
  畠状遺構の土壌中の花粉は非常に少ない。また栽培が考えられる植物の花粉も検出にはいたらなかった。(略)分析した土壌の量からの花粉の検出数は異常に少なく、これは土壌の撹拌が繰り返して行われたことから土壌中の空気の流通が良好となり、好気性バクテリアが活動しやすい環境がつくられたこと、また撹拌により紫外線をうける度合いが多かったことなどにより、花粉や胞子が分解されてしまったことが考えられるということである。
  土壌pHは盛土遺構の下に残されていた土壌(黒色腐植土)がpH5.92であるのに対して、畠状遺構の土壌はpH6.00~6.12という値を示した。これは腐植土よりもはるかに酸性度が低いことを示している。土壌のpHが上がることについては、水がある程度溜まるという条件が考えられる(水田はその顕著な例である)。また、土壌中に骨や石器などの遺物の混在が比較的多く見られること、このような遺物の出土状況は東西の盛土遺構に類似することから、掘り込んだ恵庭aロームに盛土遺構の土壌を客土(略)していた可能性も否定はできない。pH値が高いことはそれによって説明されるのかもしれない。これについてはさらなる厳密な分析、検討が必要であることはいうまでもない。
  土壌関係の研究者の所見では、畠状遺構の土壌の色調(黒褐色から暗褐色)は例えば木の葉などを混入させた結果であることも考えられるという。これについても厳密な分析が必要であるが、土壌に施肥を行っていた可能性も否定はできない。」
 d)「畠状遺構」の調査と評価
  遺構の航空写真測量をおこない、一部の土層断面はぎ取り・石斧掘削痕の移設を実施している。また上記のように花粉分析・土壌PHの測定のほか、土壌および出土土器胎土の植物珪酸体・土壌粒子構造・土壌含有有機物・石斧の使用痕等の分析を外部に依頼して実施中である。
  西畠状遺構南端の調査は来年度に継続される。市教委としては遺構の性格は、分析結果を踏まえて評価すべきものと考えており、現段階では評価するに至っていない。
 以上の内容をもとに10月の月例委員会で協議し、畠跡との認定がおこなわれていない現状では遺構の保存は困難であること、その認定の方法・基準を提示できない現状では保存要望等の行動に裏付けを欠くこと、学会としては今後に向けて原始的な「畠跡」の実例や認定基準に関する調査研究に力点をおくべきであること、を結論した。
  以上、報道以後の委員会の対応を簡単に報告した。
                             (秋山洋司・西脇対名夫)

[書評]   『大谷地貝塚と五十嵐 鐵 -余市式土器をめぐって-』    
去る9月5日に,小樽先史懇話会研究論集創刊号として本書が刊行されました。これは故峯山 巌先生が手掛けてきたものでありましたが,先生は1992年9月5日にお亡くなりになり,この本を手にすることは出来ませんでした。その後5年の歳月を経て小樽先史懇話会の方々のご尽力により,ようやく出版にこぎ着けた愛情の注がれた出版物となっております。この度,会員の方々にご周知する傍ら,余市町大川,入舟両遺跡で調査指導にあたって来られている北海道東海大学岡田淳子先生に書評ご執筆のお願いをしたところ,お忙しい中快くお引き受け下さいました。記して感謝いたします。

大谷地貝塚と五十嵐 鐵 -余市式土器をめぐって-
                                  岡田 淳子

 余市式土器の名が学界に普及したのは,40年くらい前だったと思う。だから,40年余を経てこの土器が取り上げられたことは,隔世の想いを抱く人も多いと思う。しかし,余市式土器にはそれだけの意味がある。本州の縄文土器が,遺跡名や地名を型式名として採用する中で,北海道の土器は,円筒土器,貝殻条痕文土器のように形状によって呼ばれていた。そこに登場した「余市式土器」は,北海道で最初につけられた型式名と言えるからである。
 本書の計画の始まりは,余市式土器のタイプサイトである大谷地貝塚を調査した先学,五十嵐 鐵氏の業績を検証することにあったという。昨今、発掘調査の報告書がほとんど占める中で、粒選りの小研究者グル-プによって、このような試みがなされたことは、今後の研究の在り方の一方向を示唆するものであると思う。
 序を読むと、熱心に考古学研究に取り組まれた峰山 巌先生の記憶が、鮮やかに蘇り、竹田輝雄氏の文章には研究会の情景がきらきらと描き出されている。読み終えてまず感じることは、この書が大谷地貝塚調査の総合的な復元報告書になっており、現段階での余市土器研究の全貌を私たちに伝えてくれることである。一つの研究には多くの人々の努力があり、それの火付け役を果たしたのが五十嵐 鐵氏の「大谷地貝塚の層位的研究」にあったことを語っている。
 本書は、序と5節の本文に分かれ、6人の関係者によって分担執筆されている。
 序の中で峰山氏は、河野広道氏によって1930年代に名付けられた「余市式土器」は、研究が進んだ今でもその根幹が揺るぐものでないと述べて、余市式土器を概括的に規定している。また、宮 宏明、大沼忠春氏の見解にふれた後、余市式に統合される諸型式の起源と展開を考究することによって、その時期の文化複合を辿りたいと結んでいる。土器型式の背後に社会を見る考え方は、年代観のみに留まらぬ学識の広さを感じさせる。
  1.大谷地貝塚と五十嵐 鐵では、竹田輝雄氏が大谷地貝塚の調査と五十嵐氏の関わり、その調査経過と成果を細かく述べている。小樽市内で小学校の教師をしていた五十嵐氏が、机上の理論ではない教育を考えたところから始められたこの調査が、余市式土器の発見につながったばかりか、やがて小樽手宮洞窟の彫刻を保護するに至ったことにも触れた。
  2.大谷地貝塚の位置とその歴史的環境では、大島秀俊氏の手による大谷地貝塚の検証である。ここでは遺跡が姿を変えていくさまを、文献によって時系列的に検証し、現状との関係を的確に把握していく。時には失われてしまう遺跡の記録がいかに大切であるか、行間から読みとることが出来る。
  3.大谷地貝塚出土土器については、本書の過半数の頁を占める、長谷川徹氏の大作である。今まで3カ所に分かれていた大谷地貝塚出土の土器を紙上で一つにまとめ、その細かな分析を試みた。小樽市博物館収蔵の160点、余市水産博物館収蔵の179点、旭川市博物館収蔵の36点を7群10種類に分け、さらに模様別に分類して細かく説明を加えた。その緻密さは、誰にでも出来ることではないが、専門家以外には理解されにくいであろう。
  4.余市式土器研究の軌跡は、かつて、ノダップⅡ式土器の検討から余市式土器に迫った、宮 宏明氏によるものであるが、簡明にして要を得た文章で、実にわかりやすく余市式土器を捉えることが出来る。付記された関係文献目録を見ても、常に怠らない研究態度から生まれた論文であることが推察される。
  5.余市式土器研究の問題点は、川内 基氏と大島秀俊の合作で、丁寧に研究を跡付けながら、峰山氏が意図したように土器の背後にある動きを探っている。ここでは、五十嵐氏の最初の発掘報告に目を引かれた。それは4つの層から出土した土器の変化が、非常にはっきりと中期から後期への動きを見せている事実である。前半は、最も近似の土器を探せば北筒式土器であり、後半は、後期初頭の大胆な沈線模様へとつながって、縄文文化の広域的文化領域に入っていくことを示している。
 大谷地貝塚と余市式土器について多くを語り、なお余韻を残す、得難い書物であった。
    (1997年9月5日発行 小樽先史懇話会研究論集創刊号)

 会費滞納会員に対する事務処理規定
1会費滞納に対する考え方


会則第5条に「本会の目的に賛同し、会費を納入した個人を会員とします。」とあるのに従い、長期間会費滞納が続く会員は、会にとどまる意志がなくなったものと考えます。

2滞納会員に対する会誌等の発送停止

会費滞納が3年間連続した会員には、4年目の4月より、「会誌」、「だより」、各種催し案内などの発送を停止します。

3滞納会員に対する退会手続きについて

会費滞納が5年間以上連続した会員は、会にとどまる意志がすでにないものと判断し、「退会」として事務処理を行います。滞納から6年目の4月に「退会」として処理する旨の通知を行い、その年度末までに会費の納入、もしくはそれに変わる連絡等がなかった場合は、その年度末をもって「退会」として処理します。

4滞納会員に対しての連絡

会費の滞納状況については、すべての会員にその会員の会費納入状況を振替え用紙とともに連絡しますので、それを持って滞納の連絡とします。3年間以上の滞納がある会員にも同様の通知をします。

5発送停止等の措置の解除

会誌等の発送の停止された会員が、会費納入を行った場合その納入された会費に該当する年度の会誌等を発送します。また、その納入された会費に該当する年度までは滞納の年数から除外します。

6その他

上記の事項については、委員長、会計担当委員、総務担当委員などが相互に連絡を取り、事務処理を出来る限り速やかに行うものとします。また、上記の事項以外のことについては委員会で取り扱い協議します。

   会計担当(石川・熊谷)

新入会員・住所変更会員のお知らせ(略)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


研究大会の地方開催について
 北海道考古学会では、年度始めに行っている研究大会の地方開催について検討しております。近年では平成8年度に千歳市、平成9年度に伊達市において開催し、地元の職員と協力しながら、各地域における先史時代の重要性について普及啓蒙化をはかってきたところであります。地元だけにとどまらず、より大きな考古学関係の行事を考えられておられる市町村・博物館・団体等ございましたら、ご遠慮なく北海道考古学会事務局までご一報いただけますようお待ち申し上げております。ちなみに次年度は、まだ開催予定地が決まっておりませんので、お早めにご連絡いただけると、実現の運びとなろうかと思われます。
    総務担当(石橋・鈴木)

保護問題懇話会(仮称)について
 北海道の遺跡・遺物の保護は、当会の主要な目的として会則にも定められているものの、従来会事業として必ずしも継続的・計画的な保護が行われてこなかった実状があります。
 委員会ではこのような経過を背景に、1998年度から計画的に保護のための事業に着手することを目指していますが、問題の性質上、出来る限り多くの会員の意見を反映し、参加を得なければその進展は見込めません。
 そこで保護問題に関心を持つ会員相互の連絡・協議の場として下記のような「保護問題懇話会(仮称)」を発足させたいと思います。
 ぜひこの場に参加され、身近な遺跡の保護のために発言されるようお願いします。

1 組織
 参加の意思を示した北海道考古学会会員によって構成する。世話人若干名を置き、事務面の運営に当たる。世話人は当分のあいだ保護担当の運営委員が務める。
2 活動内容
 例会(保護問題に関する勉強・討論会、遺跡保存の現状を見る小旅行など)の開催、連絡誌の発行、その他必要な事業。
3 参加方法
 世話人に郵送料(任意の枚数の80円切手)を送って下さい。郵送料が残っている間連絡誌が送られ、例会の案内や内容が伝えられます。
4 世話人連絡先
  〒064 札幌市中央区南22条西13丁目 札幌市埋蔵文化財センター 秋山 洋司
電話 011-512-5430  FAX 011-512-5467
5 例会の予定
 第1回例会を下記の要領で開催します。
日時:12月7日(日) 10時 静内町郷土館前集合 15時 苫小牧駅前解散
内容:西日高・東胆振地方小旅行
  静内町シベチャリのチャシ・門別町富仁家盛土墳墓群・苫小牧市静川遺跡等に立ち  寄る予定です。
参加:集合時間になり次第出発します。なるべく事前に参加希望を世話人までご連絡下  さい。極端な悪天候の場合中止をご連絡します。
 第2回例会は講師を迎えての勉強会を1月下旬に予定しています。
(西脇・鈴木・秋山)

北海道考古学会だよりの充実に向けて
  

 昨年度、北海道考古学会が実施したアンケ-トによると、「・・・会員の動向や、会員のための情報が不足しているとの意見が多い。」(だより53号より)という声があり、多くの会員が「発掘調査や報告書のタイムリ-な情報」を求めているようでした。そのことを受け、北海道考古学会員会で協議した結果、情報不足は確かであるがタイムリ-な情報を集めるには、「会員からの声が常に事務局に届くようなシステム作りが必要である。」という意見でまとまりました。そこで、今後のだより発送に併せて「北海道考古学会情報用紙」としたものを、皆様にご送付させていただきます。記載方法は簡単な穴埋め式となっております(別紙参照)。ご自分の担当されている仕事ばかりではなく、隣の市町村の発掘状況や全道的な話題にしたい状況などございましたら、もれなく事務局までご連絡いただければ幸いです。
 また送付いただいた内容につきましては、毎月第1土曜日に行われる北海道考古学会委員会で検討し、だより担当委員が、記事に直接携わる担当者(現場担当者や報告書作成者など)に問い合わせ、この件について問い合わせがあったので「記事にしてよろしいか」、もし良ければ「どういう内容にするか」もしくは「担当者に記載を願うか」を打ち合わせ、だよりの記事とさせていただこうと考えております。お忙しいところ、非常に申し訳ないお願いではございますが、たくさんの情報をお待ちしておりますのでよろしくお願いいたします。
   だより担当(鈴木・藤井・秋山)

『北海道考古学』第34輯の原稿募集について

会誌編集委員長 林 謙作

 当会会誌編集委員会は、6月の発足以来『北海道考古学』の投稿規定について検討を加えてきましたが、このたび別項のとおり「投稿について」・「原稿の体裁について」を決定いたしました。これにともない、下記の要領で『北海道考古学』第34輯の原稿募集を行います。会員の皆様の投稿をお待ちしております。

1 投稿資格
 「投稿について」の定めにより、遺稿・翻訳など執筆者と投稿者の異なる投稿も受理対象としますが、その旨をあらかじめ編集委員会にご相談下さい。
2 原稿のテ-マ・種類・分量
 「投稿について」の定めによります。旧規定の「資料紹介」と、32・33輯で募集した「写真」は統合し、「資料・遺跡」とします。
3 原稿の体裁
 「原稿の体裁について」の定めによります。新たにキ-ワ-ドを掲載することとしましたのでご協力下さい。
4 送付および締切
 原稿は「投稿について」1の規定に従い、編集委員会事務所あて郵送して下さい。1998年1月31日までに事務所に到着したものを第34輯の掲載対象とします。

投稿について

1 投稿資格は、特にお願いする場合をのぞいて、北海道考古学会(以下「本会」という)の会員にかぎります。
 a 本会は、任意加入の組織です。入会の手続きについては別記1の本会事務局にお問い合わせください。
b 投稿は別記2の本会会誌編集委員会事務所にお寄せください。
 c 投稿原稿には執筆者名・題名・原稿の種類を明記し、投稿者の氏名・連絡先住所および電話番号を添えてお送りください。執筆者と投稿者が異なる場合は、編集委員会にあらかじめご連絡ください。
2 原稿の採否は、編集委員の協議によって決定いたします。ただし、編集委員以外の本会員の意見を求める場合もあります。
a 原稿の採否は受理の日からおおむね一ヶ月以内に文書でお知らせいたします。
b 原稿のヴォリュ-ムやスタイルが「原稿の体裁について」といちじるしく食い違う場合、書き直しをお願いいたします。あらかじめ、「原稿の体裁について」をご参照のうえ、スタイルの統一にご協力ください。
c 編集委員会の構成は別記3のとおりです。
3 原稿のテ-マは、北海道とその周辺地域に関するものを中心とします。内容は未発表のも のに限ります。
4 掲載する原稿の種類・長さは、おおむね次のとおりです。
   論   文:執筆者(等)による独自の研究成果。刷り上がり16頁以内。
   報   告:執筆者(等)による独自の調査成果。長さは論文に準ずる。
研究ノ-ト:新しい着想・問題提起に関する短論文。刷り上がり8頁以内。
   資料・遺跡:注目すべき遺物・遺跡の紹介。長さは研究ノ-トに準ずる。
   書   評:刊行された書籍(報告書を含む)、または『北海道考古学』に掲載された論文の批評。長さは一件につき2頁以内。
5 投稿者による校正は、特別の場合をのぞき、初稿のみとします
6 投稿者には、別刷り50部・掲載誌1部を差し上げます。4にしめした長さを超えた分の印刷費、ならびに50部を超える別刷りの印刷費は、投稿者に負担をお願いします。
7 投稿された原稿は、図表等を含め、原則としてお返しいたしません。特別の事情があって返却を希望される場合は、編集委員会にあらかじめご連絡ください。

別記1
 北海道考古学会事務局の連絡先は次のとおりです。
  〒069 江別市西野幌114-5 江別市セラミックア-トセンタ-内
  Tel(011)385-1004 Fax(011)385-1000
別記2
 編集委員会事務所は当面のあいだ、下記に置きます。
〒060 札幌市北区北10条西7丁目 北海道大学文学部 林教授研究室
  Tel(Fax兼) (011)706-4050
別記3
 編集委員会の構成は次のとおりです(1997年6月7日から1999年3月31日まで)。
 編集委員長  林 謙作(北海道大学文学部)
  副委員長  上野秀一(札幌市埋蔵文化財センタ-)
  編集委員  大島直行(伊達市教育委員会)
        長沼 孝(財団法人北海道埋蔵文化財センタ-)
        右代啓視(北海道開拓記念館)
        豊田宏良(千歳市埋蔵文化財センタ-)
        西脇対名夫(北海道教育庁)

原稿の体裁について

1 本文は、当分のあいだB5判横組みとします。原稿は用紙片面に横書きしてください。
 a 論文・報告は一段組とし、42字36行を標準とします。
b それ以外の原稿は二段組とし、23字45行を標準とします。
2 本文中の人名・地名・遺跡名は、初出の場合だけは、必ずルビをふってください。
3 数量の単位、その他の記号は慣用のものにしたがって結構ですが、正確を期してください。
和文原稿の場合、句読点は「、」(テン)「。」(マル)を標準とします。
  (例)キロメ-タ-→㎞  C14年代→14 C年代  Gak.→GaK
4 文献情報検索に協力するため、本文の冒頭にキ-ワ-ド(5件以内)を示してください。要旨は要求しませんが、外国文要旨の掲載等を記載される場合、原稿の末尾に添えてください。
5 註は不必要に多くならぬよう留意し、引用文献とは分けて、ともに文末にまとめてください。
6 文献の引用については、次の点に配慮してください。
 a 著(編)者名と刊行年次を併記し、著者名のアルファベットまたは五十音順に配列してください。
b 出来るだけ該当頁も明記してください。
 c 刊行年次が重複する場合は、引用もしくは刊行順に配列し、a・b・c等の記号で区別してください。
(例、本文中の引用)
・・・という指摘もある(Crabtree 1968:466)。
  ・・・加藤晋平の論考(1972:11)などがあるのみである。
(例、文末の一覧、五十音順)
  大場利夫 
1983 『北海道の先史文化』 札幌・みやま書房
  大場利夫・大井晴男 
1973 『オンコロマナイ貝塚』 東京・東京大学出版会
オクラドニコフ
1959
加藤晋平
     1976a 「シベリア」 麻生優・加藤晋平・藤本強『日本の旧石器文化』4 東京・雄山閣 182~284
 1976b 「後期旧石器と日本の大陸」『歴史公論』第2巻第12号 78~86
  ディコフ Dikov,N.N.
1963 “Archaeological Materials from the Chukuchi Peninsula,”American Antiquity, 28, No.1,1-17
7 図の版面は、当分のあいだキャプション込みで天地20×左右13.5cmとします。
 a 図面・挿図の枚数・スペ-スは特に制限しませんが、そのままで製版できるような製図  ・張り込みしてお送りください。
 b 本文原稿に図の大まかな挿入位置を指示してください。
c 写植が必要な場合、正確な位置を指示してください。

北海道考古学会月例研究会の実施報告と案内
 9月27日北海道開拓記念館において、筑波大学大学院生、福田正宏氏より「亀ヶ岡式土器における入組文のゆくえ」についてご発表いただきました。詳細な入組文の観察から、これまでの縄文晩期後葉(大洞C2式~同A式)の土器編年を見直すことが出来るのではないかという提示をされ、後半には砂沢式と二枚橋式の共時性についても論究されるなど,広範囲にわたりながらも問題点の抽出から結論に至るまで非常にまとまった研究内容でありました。今後の研究の進展が注目されるところであります。

第4回北海道考古学会月例研究会のご案内
 日時 11月29日(土) 15:00~17:00
 場所 北海道大学高等教育開発研究部2回会議室
 演題 「北海道におけるテフロクロノロジー(火山灰編年学)」-遺跡とテフラ-
 発表者 花岡 正光 会員 (財)北海道埋蔵文化財センター
  なお,当日の研究会は,「北海道の自然科学的研究についての懇話会」との共同の企画で 実施するものです。
研究会担当(手塚・田口)

北海道開拓記念館「擦文文化」特別展のご案内
 既におこしの方も多数おられることと存じますが,10月4日より北海道開拓記念館において第45回特別展『北の古代史をさぐる 擦文文化』が開催されております。道内外の擦文期の遺構・遺物の展示もさることながらその前後の時期やオホーツク文化に関する遺構・遺物についても紹介されており,充実した展示内容となっております。11月30日(日)までの展示となっておりますのでご覧になられてない方は,お急ぎでお出かけ下さい。

 

 

 

 
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